積読が増え続ける原因と、罪悪感なく向き合う方法

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「積読は悪いこと」——そう思い込んでいる読書好きは意外と多い。買ったのに読んでいない本が本棚に並んでいるのを見るたびに、うっすらとした罪悪感を覚える。筆者自身、一時期は本棚の未読本を数えては落ち込み、「もう新しい本を買うのはやめよう」と決意しては、また書店で気になる本を見つけて買ってしまう、ということを繰り返していた。数えてみると、その時期の未読本は30冊近くにまで膨らんでいた。しかしある時期から、積読との向き合い方を変えたことで、その罪悪感がかなり軽くなった。この記事では、積読が増える仕組みと、それを責めずに付き合っていくための考え方を紹介する。

積読=悪いこと、という思い込みについて

そもそも、なぜ積読は「良くないこと」だと感じられるのだろうか。多くの場合、その背景には「本はお金を払って買ったのだから、読まなければ元が取れない」という消費者的な感覚がある。服や家電であれば「買ったのに使わない」ことは確かに無駄になりやすいが、本の価値は必ずしも即座に消費しなければ意味がないものではない。

本は、読みたいと思ったタイミングで読むことに意味がある。買った直後に読む気になれなくても、数ヶ月後、あるいは数年後にふと読みたくなる瞬間が訪れることは珍しくない。むしろ「今の自分には響かなかった本が、後の自分には刺さる」という経験を何度もしてきた読者にとって、積読は失敗ではなく、未来の自分のための準備だと捉え直すことができる。実際、筆者の本棚には3年前に買って読み進められなかった小説があるが、最近読み返したところ、当時とはまったく違う感想を持ち、一気に読み終えることができた。

また、SNSや書店で見かける「積読は良くない」という論調自体が、読書に対して過度な生産性を求めすぎている側面もある。趣味としての読書に「効率」や「消費」の発想を持ち込みすぎると、本を選ぶこと自体が楽しめなくなってしまう。積読を悪とみなす前に、そもそも読書に何を求めているのかを一度立ち止まって考えてみる価値がある。

積読が増えるメカニズム

積読が増える背景には、いくつかの共通したパターンがある。一つは「買う瞬間」と「読む瞬間」のモチベーションが別物だということだ。書店で本を手に取ったときの高揚感と、実際に自宅で腰を据えて読む気力は、必ずしも同じタイミングで訪れるとは限らない。買った時点では強く読みたいと思っていても、日常に戻ると他の予定に追われ、読むタイミングを逃してしまう。

もう一つは、情報収集の手段としてSNSや書評サイトが発達したことで、「気になる本」に出会う頻度そのものが増えたことだ。以前は書店に足を運んだときだけ出会っていた本の情報が、今はSNSのタイムラインを眺めているだけで次々と流れてくる。出会う本の数が増えれば、当然読み切れる冊数とのギャップも広がりやすくなる。一日に何冊もの本の情報に触れる生活をしていれば、読む速度がどれだけ速い人であっても、出会う本すべてを読み切ることは物理的に不可能に近い。

さらに、電子書籍のセールやポイント還元キャンペーンの存在も積読を後押しする一因になっている。「今買っておかないと損」という感覚から、読む予定が具体的に立っていない本まで買ってしまうケースは少なくない。これは消費行動としては自然なことであり、責められる話ではないが、積読が増える仕組みとして知っておくと気持ちが楽になる。

筆者の本棚で実際に起きていたこと

筆者の場合、積読が最も膨らんだ時期を振り返ると、仕事が忙しく心に余裕がない時期と重なっていた。読む時間がないのに、ストレス発散として書店を訪れ、本を買うという行為そのものに満足感を得ていたのだと思う。つまり、その時期の積読は「読むために買った本」というより「買うこと自体で気持ちを整えていた本」だったと言える。

この事実に気づいてから、積読を「読めていない失敗の山」ではなく「その時々の自分の興味関心の記録」として見るようになった。本棚を眺めれば、あの時期は経済の本に興味を持っていた、この時期は旅行記ばかり買っていた、というように、過去の自分の関心の移り変わりが分かる。そう考えると、積読された本は無駄なものではなく、むしろ自分自身の記録として意味のあるものに見えてくる。

興味深いことに、忙しさが落ち着いた時期に本棚を見返すと、当時買った本の半分近くは、実はもう今の自分の興味とはずれていることにも気づいた。無理に全部読もうとするのではなく、その事実を素直に受け止めることも、積読との付き合い方の一部だと思うようになった。人の興味関心は数ヶ月単位でも移り変わっていくものであり、買った当時の自分と今の自分が同じ本に同じ熱量を持てるとは限らない。それを「気が変わった」とネガティブに捉えるのではなく、自然な変化として受け止める方が気持ちは楽になる。

罪悪感を手放すための考え方

積読への罪悪感を軽くするために有効だったのは、「積読は在庫ではなく選択肢」だと考え直すことだった。冷蔵庫に食材が何種類か常備されているのと同じように、本棚に読みかけ・未読の本が複数あることは、その時々の気分に合わせて選べる選択肢が用意されている状態だと捉えられる。

また、「買った本をすべて読み切る」ことを目標にするのをやめ、「今の自分が読みたい本を、その都度本棚から選ぶ」ことを読書の基本姿勢にすると、未読本の存在そのものがプレッシャーではなくなっていく。読まれるのを待っている本が多いことは、むしろ選択肢の豊かさとして前向きに捉えることができる。実際に本を選ぶ段階になって「今日はこの気分だから、この本にしよう」と選べる楽しさは、積読があるからこそ味わえるものでもある。

積読と上手に付き合うための小さな工夫

とはいえ、積読が際限なく増え続けると、本棚のスペースや管理の面で現実的な問題も出てくる。筆者が実践している工夫としては、まず「今年読みたい本」を数冊だけ選んで別の場所に置き、それ以外の積読とは分けて管理する方法がある。すべての未読本を一度に意識しようとすると気が滅入るが、数冊に絞れば、無理なく手が伸びやすくなる。

また、半年に一度など定期的に本棚を見直し、「今の自分にはもう興味が薄れた」と感じる本は、無理に読もうとせず古本店やフリマアプリで手放すようにしている。積読を全部読み切ることを目指すのではなく、今の自分の関心に合わないものは手放し、本棚を今の興味関心に合わせて入れ替えていくという発想の方が、結果的に本との付き合いが楽になった。

手放す基準に迷う場合は、「もう一度書店で見かけたら、今の自分は買うか」を自分に問いかけるようにしている。買わないと感じるなら、それは今の自分にはもう必要のない本だと判断できる。この基準を持つようになってから、本を手放す際の迷いが減った。逆に「今でも欲しいと思う」と即答できる本は、たとえ何年積んでいても手放さずに残しておいて構わないというのが、筆者なりの線引きだ。

積読があることで得られている意外なメリット

積読には、デメリットばかりが語られがちだが、実は良い面もある。読みたい本がすでに手元にあるという状態は、「次に何を読もうか」を考える手間を省いてくれる。読み終えた本を返してすぐ次の本を探しに行く必要がなく、気分に応じてすぐ次の一冊に手を伸ばせるのは、積読があるからこその利点だ。

また、複数のジャンルの未読本が本棚に並んでいることで、その時々の気分に合った本を選びやすくなる。小説の気分、実用書の気分、エッセイの気分と、日によって読みたいものは変わるが、積読があれば、そのつど新たに本を探しに行かなくても手元で選択できる。積読をゼロにすることを目指すより、ある程度の量を心地よい選択肢として維持する方が、実際の読書量を増やすことにもつながっている。

家族や同居人と積読への感覚がずれるときの対応

一人暮らしであれば積読は自分だけの問題で済むが、家族や同居人がいる場合、本棚のスペースをめぐって感覚のずれが生じることもある。筆者自身、パートナーから「読んでいない本がこんなにあるのはもったいないのでは」と指摘された経験がある。そのときは、積読を「失敗」ではなく「選択肢」として捉えているという考え方を素直に伝え、代わりに本棚のスペースには上限を決め、その範囲内でやりくりするという約束をした。

積読への感覚は人によって大きく異なるため、同居する相手がいる場合は、罪悪感を一人で抱え込むのではなく、自分なりの積読との付き合い方を言葉にして共有しておくと、無用な摩擦を避けやすい。スペースの上限を決めておくことは、相手への配慮であると同時に、自分自身が積読を無限に増やしすぎないための歯止めにもなる。

まとめ

積読は、意志の弱さや浪費の証拠ではなく、買うタイミングと読むタイミングのズレや、その時々の興味関心の記録として自然に生まれるものだ。積読の山を責めるのではなく、選択肢の豊かさや過去の自分の記録として捉え直し、今の自分が読みたい本をその都度選んでいく——そうした向き合い方の方が、長い目で見て読書を心地よく続けられると筆者は考えている。積読に悩んでいる人は、まず本棚を眺めて、そこに並ぶ本を「失敗の山」ではなく「自分の興味関心のアーカイブ」として見直してみてほしい。

積読をゼロにすることを目標にする必要はない。むしろ、ある程度の積読を許容しながら、今の自分の興味関心に合わせて本棚を少しずつ入れ替えていくくらいの緩やかな付き合い方の方が、無理なく長く読書を楽しみ続けられるはずだ。焦らず、今日読みたい一冊を本棚から選ぶところから始めてみてほしい。